引用元:nike.com

スニーカーブームの火付け役であり、常にシーンを牽引する『NIKE』。
数々の社会現象を巻き起こし、「NIKEの株価を見れば経済がわかる」なんて言われることもあるほどに人々を熱狂の渦に巻き込み続けるナイキの歴史的名作スニーカーを紹介していきます。

NIKEの歴史

創業は1964年のこと。
スタンフォード大学の学生であったフィル・ナイト(Philip Knight)と、オレゴン大学の陸上部でコーチを行っていたビル・バウワーマン(Bill Bowerman)の2人によってスタートします。
筆者メモ📝:フィルナイトはオレゴン大学→スタンフォード大学経営大学院の経歴。

始まりは「オニツカタイガー」とともに?

少しさかのぼること1962年。日本を訪れたフィル・ナイトがオニツカタイガーの高品質・低価格に衝撃を受け、オニツカを電撃訪問。なんとアメリカでの販売権を取得します。
筆者メモ📝:取得金額は破格の50ドル!創業者・鬼塚喜八郎は「フィル・ナイトが自身の創業時代に重なった」んだそうです。
オニツカタイガーの総輸入代理店として1964年に「ブルーリボンスポーツ」を設立します。これが『NIKE』の前身。

「ナイキ」の誕生。実は日本と縁深い…?

輸入販売を手掛ける「ブルーリボンスポーツ」が自社シューズを販売する「ナイキ」になったのは1971年のこと。
オニツカタイガーとの契約終了を機に、自社シューズの開発に取り組みます。
日商岩井(現:双日)の援助のもと、日本のアサヒシューズでシューズを製造していたそう。

筆者メモ📝:オニツカの技術者をヘッドハンティングしていたなんて話もあるそう。

1971年6月18日。スウッシュ誕生。

このスウッシュを最初につけたサッカースパイクが発売されます。
ナイキのロゴ「Swoosh(スウッシュ)」はわずか35ドルで制作されたというのも有名な逸話ですね。
デザイナーは当時大学生だったキャロライン・デイビッドソン。創業者であるフィルナイトが当時講師をしていた大学の学生なんだそう。

Swooshをカタカナでなんと呼ぶか問題、公式による答え合わせは衝撃的でしたね。

歴史を変えた「エアジョーダン」の誕生

エアジョーダンとは、バスケの神様と呼ばれる「マイケル・ジョーダン」のためにナイキが作ったバスケットシューズのこと。

1984年当時、NIKE社バスケット部門の業績は振るわず、打開策を模索していました。
担当者が大学時代のマイケルジョーダンに歴史を変えるポテンシャルを見出し、何人かの選手とのスポンサー契約をするための予算25万ドルをマイケルジョーダン1人に全額提示。

さらに、当時「アディダスがいい!」という意向だったマイケルジョーダンと契約するための秘策として打ち出したのが、マイケルジョーダンのために作ったバッシュ。これこそが“エア・ジョーダン1”です。

筆者メモ:エアジョーダン1のカラーリング(真っ赤なブルズカラー)は当時のNBA出場規定に違反。出場するたびに5,000ドルの罰金が発生し、それはNIKE社が払い続けたというのも、有名な逸話ですね。

ジョーダンの名を冠したモデルだから、売上の一部を本人に分配する。というビジネスモデルができた歴史的な瞬間でもありました。

興味がある方はエアジョーダン誕生秘話に迫った映画「AIR/エア」をぜひ見てみてください。

その後もシリーズは続き、2024年現在はAir Jordan39まで発表されています。

社会現象を起こした「エアマックス」

1990年中頃、空前のスニーカーブーム。
人気のモデルにはプレ値がつき、熱はさらに高まる一方。
そんな時代で爆発的な人気を誇ったのが1995年に発売された「エアマックス95」。
新品で60万円の値がついたなんて話があるくらい熱狂の渦のど真ん中にいたモデルです。
そしてその人気ゆえについに社会現象/問題になったのが、みなさんご存知『エアマックス狩り』。

それほど人々の熱狂させた歴史的名作なわけですね。

ナイキのおすすめ名作スニーカー

ざっくり年表

1968年 創業
1972年 「コルテッツ」「ブレーザー」
1978年 「テイルウインド」
1982年 「エアフォースワン」
1984年 「エアジョーダン1」
1985年 「ダンク」「ターミネーター」
1987年 「エアマックス1」
1990年 「エアマックス90」
1995年 「エアマックス95」「エアジョーダン11」

筆者メモ📝:「おいおい!このモデルが抜けてるよ!」というのがあったら教えてください!

各モデル紹介

コルテッツ(Cortez)

引用元:nike.com

ナイキのスニーカーの中でも最も歴史のある一足が「コルテッツ」は1972年に誕生しました。
ナイキの「エア」以前の名作ローテクスニーカーです。

映画「フォレスト・ガンプ」で着用していたことでも有名ですね。

このコルテッツにはとても長い物語があるのですが、ポイントだけピックアップすると

・ナイキはもともと「オニツカタイガー」の総輸入代理店
・オニツカタイガーと共に商品開発もするように
・ナイキ創業者の1人バウワーマンが「タイガー コルテッツ」を開発
・その後オニツカタイガーとは契約終了。ナイキは自社シューズ開発へ。
・自社ブランド「ナイキ」の「ナイキ コルテッツ」を発売
・オニツカ側もバウワーマンの名付けた“コルテッツ”を使用していたことで裁判に
・ナイキが勝利。「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア」に。

といった経緯。個人的にはどちらもホンモノとして愛していきたいトコロ

sacaiとのコラボに選ばれたりと、何かと人気の高いモデルです。
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ブレーザー

引用元:nike.com

1972年に発売されたナイキ初のバッシュがこの「ブレーザー」。
名前の由来は、ナイキ本社があるオレゴン州のNBAチーム「ポートランド・トレイルブレイザーズ」から。

NBAのトッププレイヤーたちが愛用したブレーザーも1980年代には次世代モデルへと世代交代…そして姿を消す…かと思いきや、グリップ力の高さからスケーターが大注目。
シンプルなデザインも相まって、ストリートシーンでも活躍するスニーカーとして愛されるようになりました。

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テイルウインド

引用元:google.com

今やナイキの代名詞とも言える『エアソール』が初めて搭載されたのがこの「テイルウインド」。

1978年にランニングシューズとして登場しました。
この「NIKE AIR」は元NASAの技術者フランク・ルディによって発案されたもの。
筆者メモ📝:最初はこのアイデアをアディダスに持ち込んで断られたそうです。
ナイキの進化はこのエアと共にある、といっても過言ではないでしょうから、そのオリジンと思うと、そそられますね。

エアフォースワン

引用元:nike.com

AF1は、Nike史上最も売れているシューズ
というわけでその人気は疑いようもない「エアフォースワン」は1982年にデビューしました。

街ではLOWを見かけることが多いですが、デビュー当時はハイカットのみの展開でした。
筆者メモ📝:アンクルストラップなど、様々な最新技術を搭載したバッシュとして発売されました。

その後はヒップホップカルチャーとの結びつきやブランドコラボなどでストリートファッションとして注目されるようになります。

エアジョーダン1

引用元:nike.com

マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルの第一弾としてリリースされたモデル。
所属するシカゴ・ブルズのチームカラーを組み合わせた黒赤はBlack + Red =BRED(ブレッド) と呼ばれています。
当時のNBA服装規定に違反するため、この靴を履いて試合に出場するたびに罰金5,000ドルが課され、それをナイキが肩代わりしていた、というのは有名な逸話。

ダンク

引用元:club Lightning

アメリカの大学バスケ・NCAAに所属する名門校のスクールカラーをサンプリングした、合計7色の色鮮やかなカラーリングで1985年にデビューしたDUNK。

筆者メモ📝:画像は8色あるじゃん!となると思いますが、右下の紺×灰は次に紹介する「TERMINATOR」というモデルです。画像からもかかとのデザインが違うのがわかります。

「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」(=自分の学校に誇りを)というキャッチコピーで「バッシュといえば白」な時代に大変な衝撃を与えたそうです。
デビューはバッシュとしてですが、カラーバリエーションの多彩さやなどからストリートカルチャーと結びつき、一躍人気となりました。

筆者メモ📝:カラーリングを反転させたモデルは「裏ダンク」と呼ばれています。

ターミネーター

引用元:SHOES HOUSE KUZE

DUNKと同じくカレッジカラープログラムにて展開されたターミネーター。
ジョージタウン大学のために作られたモデルです。
筆者メモ📝:なぜこれだけ別なのか…真偽は不明ですが「ダンクよりターミネーターの方が先だった」とか「ジョージタウン大学とナイキのコネクションが強かった」とか、そんな噂を耳にします…

ダンクとの共通点は「ノンエア」「ハイカット」。
デザインの違いを言えば、ターミネーターを象徴するヒールのビッグナイキ。当時はチーム名の「HOYAS」と刻まれていたそうです。

引用元:shkuze.jp

エアマックス1

引用元:nike.com

昨今のハイテクスニーカーのブームの原点はこの「ビジブルエア」にあるといってもいいかもしれない。

そんな「外から見える」エアが初めて実装されたのがこのエアマックス1。
AJ1も手がけた天才デザイナー、ティンカー・ハットフィールドのこの画期的なアイデアは、
・従来のソール内のエアが抱える「重心が乗った際に圧力の逃げ場がない」問題
を解決し、さらに
・消費者にとって「ナイキエア」がなんなのか視覚的にわかった
という2点において、偉大な発明だったのだと思います。

引用元:nike.jp

エアマックス90

引用元:nike.com

そのモデル名の通り、1990年にデビューしたエアマックス90。
エアマックスシリーズ3作目です。
筆者メモ📝:2代目はエアマックスライト。
発売当初から2000年の再発売まではエアマックスⅢと呼ばれていました。

先代よりもビジブルエアの窓が大きくなり、その周囲をTPUパーツが強調するデザインに。
アッパーも異素材を組み合わせた”ハイテク”感あるデザイン。

「速そうに見えるシューズ」初めてこれを見た人々はそう口にしたそうです。

エアマックス95

引用元:nike.com

「エアマックス狩り」と呼ばれる社会現象(問題?)を巻き起こした、ハイテクスニーカーの象徴的な一足。

このデザインは2つのインスピレーションから生まれたと言われます。
ひとつは、人体。シャンクが背骨を、アイレットが肋骨を…など、人体の複雑さがモチーフ。
もうひとつは、土壌。自然が生み出したシューズというコンセプトのもと、土壌の層がデザインモチーフ。

またミッドソールにブラックを採用するのはナイキ史上初。またビジブルエアを前足部分に採用したのもナイキ史上初。
という、デザイナーのセルジオ・ロザーノの挑戦が詰め込まれた一足でもありました。

この時代を先取りしたデザインが第一次ハイテクスニーカーブームの幕開けに。
人気は白熱し、エアマックス95は争奪戦に。なんと新品60万円という値段が付いたケースもあるんだとか。

エアジョーダン11

引用元:nike.com

「フォーマルシューズのようなシンプルなシューズが欲しい」というジョーダンのリクエストに応えて完成したAir Jordan11。
エナエルを採用するなどしてドレッシーなデザインに。
ヒールの「45」はジョーダンの復帰当初の背番号。

あとがき

数々の名作を輩出してきたナイキ。
「おいおいコイツを忘れてるよ!」という声が聞こえてきそうですが、
記事では紹介しきれていない隠れた名作も随時追加していきます。